電車と人身事故を起こしたら親族は損害賠償請求される?
朝、電車通勤している方にとっては「人身事故、運転見合わせ」と表示されるとすぐに振替輸送を考えるかと思います。この振替輸送、同じ鉄道会社内で振替輸送が可能な場合はいいですが、ほとんどの場合他社の鉄道を利用するでしょう。そして、そのコストは人身事故があった鉄道会社が支払うことになるそうです。
人身事故の内容にももちろんよりますが、線路上に人が降りて通行することは通常考えられませんから、轢かれた側に全面的に責任がある場合が交通事故と比べて多いかと思います。また、踏切機の故障を除けば踏切事故も鉄道会社側に全面的に責任があるというケースは稀でしょう。そこで、鉄道会社としては振替輸送のコストを含む運行遅延についての損害を轢かれた側に賠償するよう請求する場合があり得ます。
2016年3月1日に判決があった認知症男性JR事故死の事例もこのような事例でした。
損害賠償請求されうるのは誰?
当該判決を見る前に、人身事故に遭った鉄道会社は誰に請求するのかを見ておきたいと思います。
まず、人身事故を起こした本人は民法709条により不法行為責任を負い得るので、責任がある場合にはこの本人に対して請求することが考えられます。本人が死亡した場合には、相続人がこの損害賠償債務を相続しますので相続人が賠償請求されることになるでしょう。なお、相続人は相続財産の状況によっては相続放棄することが認められています。
他にも、通勤中の自動車との事故であれば民法715条により会社が使用者責任などを負う場合があります。また、轢かれた方がホームで突き落とされたような場合には、本人ではなく突き落とした人が不法行為責任を負うでしょう(もちろん、殺人罪や過失致死罪が成立し刑事責任も生じます)。
問題となるのは、本人が認知症等などの理由で「自己の行為の責任を弁識する能力を欠く」場合です。
この場合は民法713条本文により賠償責任を負わない旨が定められています。また、本人が未成年者で「自己の行為の責任を弁識するに足りる知能を備えていなかった」場合も民法712条に同様の定めがあります。そして、この場合には本人が死亡したからと言って相続人が「相続を理由に」賠償請求を受けることはありません。そもそも相続する賠償債務がないからです。
とはいえ、損害を受けた人は被害を受けっぱなしというわけにはいかないですよね。そこで、民法714条は法定の監督義務者ないしは代行監督者が賠償責任を負うこととされています。したがって、相続人も、この監督義務者に当たれば賠償責任を負うということになります。また、条文には書かれていませんが、法定の監督義務者に該当しない者であっても、事実上これに準ずる者も賠償責任を負うことが判例法理上確立しています。これは、監督義務者に固有の責任であり、相続放棄などで義務が免責されることはありません。
ただし、監督義務者がその義務を怠らなかったこと、又はその義務を怠らなくても損害が生ずべきであったことを監督義務者自身が証明できた場合には賠償責任を負わないとされています。
認知症男性JR事故死の事例では、この監督義務者の責任が争われました。
認知症男性JR事故死の最高裁判決
詳しい事案については最高裁が公表している判決文に記載されていますので、判決の内容そのものを知りたい方も含めてこちらをご覧ください。なお、事実につきましては裁判所により認定されたものとなります。
簡単に事案をみてみますと、認知症の事故当時91歳の男性がホームに降りて人身事故を引き起こしたため、JR東海が列車遅延等の損害約720万円を請求したという事案です。そして、その請求を受けた人は、同居していた当時85歳の妻と別居していた男性の息子でした。
この妻と息子がなぜ請求されたかという点についてもう少し詳しくみておきます。
妻は、妻であると同時に改正前の精神保健及び精神障害者福祉に関する法律20条の「保護者」とされていました(当該制度は平成25年の改正で廃止されています)。妻には夫婦の協力、扶助義務(民法752条)が、この「保護者」には身上配慮義務が課されていますし、実際に同居して介護をしていたことから法定の監督義務者に準ずる者とも考えられます。息子は長男であると同時に、父の介護についての環境形成、体制作りをしていました。この息子にも扶養義務(民法730条)がありますし、介護の体制作り等の観点から法定の監督義務者に準ずる地位にあるとも考えられます。
もっとも、最高裁は、妻も息子も法定の監督義務者にも当たらないし、それに準じる者にも当たらないとして賠償責任は負わない旨を判決しました。JR東海の全面敗訴ということになります。息子の方が責任を負わないというのは原審の名古屋高裁と同じ判断ですが、妻については原審の名古屋高裁で責任を負うとされていた判断が最高裁によって覆されました。
どうしてこのような結論になったのかをみてみましょう。
まずは、名古屋高裁の段階から責任が否定されている息子の方ですが、当該高裁において「扶養義務は経済的な扶養を中心とした扶助の義務であって引取義務を意味するものではない」として責任が否定されています。また、息子は確かに自身の妻に補助してもらいながら介護を行っているうえ、介護に関する話合いにも加わるなどしていましたが、実際に同居をしているわけではありませんから、父の第三者に対する加害行為を防止するためにAを監督することが可能な状況であったということはできないとして監督義務者に準ずる地位も否定されています。
次に、妻の方ですが、夫婦の協力扶助義務については、夫婦間の義務であって第三者との関係で何らかの作為義務を負わせるものではないといったような理由で法定の監督義務者にはあたらないとしています。
また、現行法では存在しませんが「保護者」についても、本来は自傷他害防止監督義務が法定されていましたがこれは削除され身上配慮義務となったという経緯を考えれば、「保護者」には被保護者の行動を監督することを求めるものではないなどとして、法定の監督義務者にはあたらないとしています。法定の監督義務者に準ずる地位についても、妻本人も要介護者であって、デイケアサービスや息子の妻の手助けがあってこそ介護が成り立っていたのであって、加害行為を防止するために監督することが現実的に可能な状況にあったということはできないとして否定しています。
最高裁は、同様の理は成年後見人についてもいえるとしていますので、成年後見人もその地位から直ちに法定の監督義務者にはあたらないということになるようです。これまで成年後見人については法定の監護義務者にあたることについてほとんど争いはなかったように考えていましので、個人的にはインパクトある説示です。
全面敗訴となったJR東海としては確かに損害が発生したのに損害賠償をする相手がいない、ということになりますからこれはこれで問題になりますが、保険などによりカバーしてくべきところではないでしょうか。
ひとまず本件のケースでは親族は賠償義務を負わないということになりました。
とはいえ、類似するケースでも、法定の監護義務者に準じる地位を有するかどうかは自己を起こした本人との関係の度合い等によることになりますので、賠償責任を負うことは十分に考えられます。例えば、息子が同居して介護していたような場合や妻に十分な監督能力が期待できる場合には、法定の監護義務者に準ずる者に該当し得るのではないでしょうか。
認知症患者が引き起こす事故の今後
介護問題はもはや社会問題です。今回の事故も介護者が賠償責任の憂き目に合うとして、高裁判決段階で多くの非難があったようです。
そのような中でなされた今回の判決は介護現場側からすればある程度明るい内容だったのではないかと思います。しかし、本件のケースで言えば、息子が同居していたら、妻が要介護者でなかったら、法定の監護義務者に準ずる地位にあると認められる可能性は十分あります。とはいえ、監督義務を怠ったかどうかについては柔軟に見る姿勢が大事になってくるでしょう。当該最高裁判決の大谷裁判官の意見においてこの点について次のように触れられています。
高齢者の認知症による責任無能力者の場合については、対被害者との関係でも、損害賠償義務を負う責任主体はなるべき一義的、客観的に決められてしかるべきであり、一方、その責任の範囲については、責任者が法の要請する責任無能力者の意思を尊重し、かつその心身の状態及び生活の状況に配慮した注意義務をもってその責任を果たしていれば、免責の範囲を広げて適用されてしかるべきであって、そのことを社会も受け入れることによって、調整が図られるべきものと考える。
もちろん、最高裁の多数意見ではないですから先例性はありません。しかし、やはり監督義務を怠っていなかったとして免責を認める方向で今後の事件が動いていくのであれば介護の現場としてはある程度安心できるのではないでしょうか。とはいえ、解釈指針だけでは安心できない面はありますから、国や行政のアクションも求められるのではないかと思われるところです。
ちなみに、一企業が個人に多額の請求をするなんて、といった議論もあり得るところですね。いわゆるスラップ訴訟か否かという話になりそうですが、人身事故を引き起こした事実は確かにあるうえ、遺族に請求することによって何らかの牽制になるといったものでもないので、スラップ訴訟とまではいえないでしょう。
スラップ訴訟についてはこちらをご覧ください。